映画アフターサンの感想
映画をみている途中からぼろっぼろ泣いてしまった。人を選ぶ作品だとは思うけど、家族との間に苦い思い出がある人にはみてほしい。
苦い思い出ばかりだけどその中にあったほんの少しの楽しい思い出をいまの年齢になって振り返った感覚になる。
人生で一番好きな映画は「ひらいて」だったけど、余裕でぶち抜いて1位。食べていたポップコーンを押しつぶすように食べていた。強烈な作品だった。
カメラで人を映したいと思うことは愛そのもので、映したくても映せない人がいることを思い出してしまった。
ネット配信でみていたらきっと退屈で刺さってなかったとおもう。見たいと思った映画は迷わずに映画「館」でみるべきだと痛感した。
自分は自分の遺伝子を残したくない。
醜いルックス、脆い精神面を引き継ぐなんて想像しただけでもぞっとする。出来ることならこんなに苦しむのは世界中で自分だけであってほしい。自分が持っていないものを羨み、受け入れられないものは憎む。
きっと母親譲りなんだと思う。
他人にも自分にも甘いのは父親譲り。
母親も父親も一生許すことが出来ないぐらい酷い言葉を言われてきたけれど、大きくなる度、両親に近くなる自分を気持ち悪く思う。
彼らはどうして一緒に暮らしていないのか、普段どんな暮らしをしているのか、31歳になった今ソフィは何故思い返したのか、ほとんど謎のままだけれど、人間の根本にある心情は完璧に理解できないことを表している気がして、心地よかった。
ストーリー自体はなんてことなくて、普段別々に暮らしている父と娘が休暇のバカンスに行くだけ。旅先で特別事件が起きるわけでもないから、傍から見れば一般的な休日。
「こんな時間がずっと続けばいいのに」と思う瞬間が最近は増えたけど、「ずっと続けばいいのに」と思うのはずっとは続かないことを知っているからで。
このバカンスも過去の回想であることを映画をみている僕らは知っているから不穏に感じてしまう。
誕生日を親に忘れられるような幼少期、20歳近くで子供ができ、なにかしらの理由で妻と別れ、娘とほとんど会えず、娘に習い事をお金もない。
境遇は詳しくはわからないけど、時々みせる苦しげな表情からギリギリの精神状態な事が汲み取れる。
思い返すとカラムはずっと生と死の狭間にいるきがした。ベランダをのぼったり、ライセンスなしでダイビングしてみたり、バスに轢かれかけてみたりと命に執着がない。
財布の紐を気にしていたうちはまだ生きようともがいているのが感じられたが、高価なペルシャ絨毯を買うと決めた時にはもう諦めたように感じた。生きることを諦めてからはとても楽そうで写真にお金をかけることにも躊躇がない。
娘の前でずっとキラキラしたいい父親であろうとするけれど、背中からみたらお尻丸出しの丸腰。どれだけ深い愛情があったとしても人を闇から救うとは限らないのが現実。
この映画で分かるのはソフィが父と同じ年齢になって子供の頃に感じられなかった父の姿を知ったということ。一貫してソフィの視点で描かれているのにカラム単品のシーンがあるのはその当時の父を想像してのことだと思う。
同じ楽しい時間を過ごしているようにみえてもそれぞれが感じているものは全く別のものということ。
父がたまに自分を釣りに連れ出してくれていた。子供の頃の自分からしたら朝早く起きて父とふたりで出かける時間はとても楽しいものでその時父が何を考えていたかなんて考えもしなかったけど今にして思えば、父は父なりに思う事があったのかもしれない。
また見たいと思った。もしみるなら全然この映画に興味無い人とみたいなとおもった。何を思うのかとても気になる。