映画「花束みたいな恋をした」

こんばんは

 

22歳 独身男性です。

 

 

 

土井裕泰監督映画「花束みたいな恋をした」鑑賞しました。

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予告をみて凄く惹かれました。

ターゲット層が私のような人だからかなと思っていましたが、どの年齢層でも皆さんがターゲットは私だと感じられるのではないかなと。色んな方々が観られる作品だと思います

 

改めてストーリーをご紹介

【Story】
東京・京王線明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った山音麦(やまね むぎ)(菅田将暉)と八谷絹(はちや きぬ)(有村架純)。好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが 最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。

まばゆいほどの煌めきと、胸を締め付ける切なさに包まれた〈恋する月日のすべて〉を、唯一無二の言葉で紡ぐ忘れられない5年間。最高峰のスタッフとキャストが贈る、不滅のラブストーリー誕生!
──これはきっと、私たちの物語。

 

 

ネットでは「はな恋」と言われていますが

館内では「花束」と呼ばれていたのでここでは花束で通します

花束の感想を書いていきます。

 

 

知人のYouTube動画です良かったら観てください!

【リモート演劇】YSD CHALLENGE 3rd 片山七海ver - YouTube

 

https://youtu.be/NR4kcFB2CdE

特に2つ目めちゃくちゃ面白いです

 

※ここからがっつりネタバレ含みますので気をつけてください

 

 

 

 

 

 

 

菅田将暉有村架純

 

2人とも凄く上手ですよね。開始から菅田将暉有村架純!!とはならなかった。

麦くんと絹さんが初めからいていい意味でスター性のない平凡などこかに居そうな設定の2人だった。今回の映画は親近感に溺れる映画。2人を丁寧に演じていたなと感じました。

 

作中では2015年の大学生の2人が出会い2020年の社会人のタイミングで別れるのだが若干私と年齢は離れているものの自分と凄く重なるものがたくさんありました。

年齢が離れてていても大体の人が通る社会人までの道だったりまだ若い高校生の方がみたらまた違う感想がたくさんでてくるんだろうなとも思いました。

出会い系でも合コンをするわけでもなく、ごくごく普通に理想の出会い方を趣味嗜好価値観がすごく似ているお似合いの2人がどうしてすれ違ってしまったのか。。

この映画を一言で言うならば

2人の理想の恋愛を社会という現実が踏み潰した。そんな映画だったのではないでしょうか。

理想と現実をわかりやすく「恋愛」を使って表現していましたが「恋愛」に限る話ではない気がしてしばらくこの事で私は悩むことになりました。

 

 

固有名詞

 

多くの固有名詞が出てきます。

本来それらは権利等の関係で使うのは難しいですが、それらはわかりやすく私たち鑑賞者に愚直に時には伏線として丁寧にも大胆にも使用されます。

ゼルダ」が出てくるのですが私はゼルダをしたことがないのでわかりませんが、チョイスが絶妙にいいみたいです。

また「パズドラ」も出てきますが後にお話しますが決していい表現で使われていないのによく使わせてもらったなと

 

 

タイトルと予告

 

 

花束みたいな恋をした

いいタイトルですよね。観る前から凄く惹かれました。瞬間的に感じた想いなのか、はたまた別れるときに感じた事なのか。

 

恋の始まりから終わりまで理想を観ていたと感じます。それらを束ねていくけど、そのままの状態では残らない。。そういう事なのかな

 

ただ2人が別れる際「別れよう」とは一言も発さなかった。互いにありがとうと感謝を込めてそれぞれが花束を送ったようにもみえました。

私は後者のような気がします。

 

予告で惹かれた。

ずっと2人が出てます。

2人は少しずつすれ違っています

すれ違い方の日常感

テーマソングに使用されている「Awesome City Clubの勿忘」ですが1度も劇中で使用されませんでしたね

https://youtu.be/cFrBhxMpMwk

 

 

ジャンケン

 

パーがグーに勝つ

石を紙で包んでも破けるだろと言っていた2人。とてつもなくしょうもないことだが終盤に バロンの引き取りをジャンケンで決める際麦はパーを出して絹に勝つことに。もうしょうもない事を考える余裕がなくなってしまったのか、それとも自分の気持ちを押し殺して大人になったということなのか。いずれにしてももう2人が共通して持っていた価値観が変化してしまったのだろう

 

靴もそう。2人は最初同じスニーカーを履いていた。似た収入力同じ価値観環境によって人の履くものは変わります。2人が同じ道を歩いた象徴。社会人になってから玄関にあるふたつの革靴。もう別々の道を歩んでいる

 

価値観の変化を表すシーンはこの先何度も出てきます。

 

今村夏子「ピクニック」

 

圧迫面接を繰り返し受ける絹に対し、「その人は今村夏子さんのピクニック を読んでも何も感じないと思うよ」という麦。

その後会社で理不尽な対応をされる麦に対し、「その人は今村夏子さんのピクニック を読んでも何も感じないと思うよ」と全く同じ言葉をかける絹だが麦が「俺も何も感じないのかもしれない」

 

最初のシーンで昔にイヤホンの蘊蓄を語られた事を覚えていた2人なのできっと同じやり取りをしたことを覚えているのだろう。その上で絹の過去の麦の言葉をあっさりと吐き捨てたということは変わってゆく自分に抵抗はないのだろう。

 

途中でも「楽しくないことなんてやりたくない」と麦が絹に対して発言し2人で暮らすことになったが絹がその時の仕事を辞めて派遣をする際にあっさり仕事を辞めたことに怒りをみせるも「楽しくないことなんてやりたくない」と反発する絹

 

麦は絹とずっとそばにい続けられることが楽しい事だったのだろう。けど絹は楽しいことが麦といる事だったのだと思う。

だから麦は楽しくないことだって一緒にいるために頑張ってやってこれたのだと思うが絹はそんな風に過ごす麦と一緒にいてもだんだん楽しくなくなっちゃったんだろうな。そんな軽いものではないと思うけどね。

 

就活

 

麦が就活を始める前にそれぞれの親が2人に会いに来る

 

 

麦のルーツは田舎。好きなこと(絵)をやって何者かになることを夢見て上京。同棲した部屋にやってくる父親は花火師で、いつか返ってきて家業を継ぐであろう息子に仕送りをしていた。上京しても親からのお金があるおかげで今を生きていることに苦い想いがきっとあり安定した収入力が根底に欲しかったんだとおもう。

 

 

絹は都会っ子。広告代理店に勤める両親を持ち、裕福な家庭で自由に生きてきた。

 

麦は大人になるために当たり前にお風呂に入る(社会人になる)ことを選び、両親を見てきた絹は社会のひとつの歯車になってしまうことを受け入れられず、一度得たはずの"ふつう"の職を自ら離れる道を選ぶ。

 

ここまで共感が凄く大きいです

特にお金。

絵を描くことでの収入が落ち、親からの仕送り5万円が無くなる。ここから麦が就活を目指すまでの流れで凄くうるっときました。

 

私は世間とれ比較的お金がありません。その中でやりたいことと、仕事にしたいこと。そばにいたい人とずっといることを両立させようなんて出来るわけもなくて毎日がとても不安です。 

一定あった収入ですら足りないと感じていたお金からマイナスされると不安にとても狩られます。このまま大切な人とそばに居続けられるのだろうかと。お金って生きる死ぬだけじゃなく大切な人を喜ばせたりさせたい中で今の己の実力では何もしてあげられない無力さ。

 

麦は親からの仕送りとは表現せずに5万円が無くなってコーヒーをコンビニへと格下げしたと言っていました。お金への執着がそこそこ大きく2人の帰り道に飲むコーヒーを格下げする事に耐えられなかったのだろう。

 

私はお金がない時に大切な人に顔向けできる顔がないと思いいつも会いたくない気持ちになります。

たまに思わず口にしてしまいますが、お金がなくてもいいからしょげないでと怒られます。

 

絹にとってもコーヒーの格下げなどきっとどうでもいいのだろう

 

 

イヤホン

 

ファミレスで2人は1つのイヤホンを分け合います。同じ世界を繋ぐ表現するものとして登場します。

その後最初のクリスマスに2人は互いにイヤホンをプレゼントします。

 

時がたってSwitchが発売される年になってから2人でするつもりで買ったゼルダ

就職後に今までの楽しいと感じてきた事が出来なくなってきて、絹がするゼルダを遮るためにイヤホンを使います。おそらく麦を誘うためにゼルダを始めますが麦は断ります。

その時遮るために使っているイヤホンは大好きな彼女がくれたイヤホンで。。

 

「こういう」のを感じ取る力って男性結構かけがち説

少なくとも私にはありませんね。悔しいですが。人と同棲するというのは恋人同士に限らず「こういう」ことにどれだけ敏感になれるか、もしくは感じとる側が見過ごすかのどちらかなのかなと。タチの悪いのがこういうものは瞬間的に爆発するのではなく、蓄積されていくもの。お互いに言わないんですよね。

「こういう」ことがわからない人なんだなとどんどん悪い方へ悪い方へ、、

 

でも、別れたあと再会するきっかけもイヤホン

ファミレスで語られた蘊蓄を自分なりの言葉と考えにしているのが可愛い

 

可愛いと言えば押井守をみて「世界水準ですっ!」って言う絹がとても可愛らしい

 

 

タトゥー

 

「お揃いのタトゥーなんて一生別れないって思っていないと入れられないよね」と笑う。先輩カップルが別れたあとも同じように笑う。

でも、2人のような素敵な恋愛で心に刻まれた思い出は、タトゥーよりもずっと深くて、なにをやっても消せないものなんだよ…と切なくなる。

 

タトゥーを掘っていた先輩は後に亡くなってしまいます。

お風呂で溺れて死んでますが、絹の母親が社会にでる=お風呂に入ることと表現していたので社会にでて死んだという暗喩をしていたのではないでしょうか。2人でお風呂に入っていたシーンは楽しそうでしたね。

 

 

 

本棚

 

好きな人の家にあるもの気になりますよねー

そこに共通して好きな物があるとときめきますよねー

いいなー

憧れです。

 

セックス

 

パンケーキを食べるシーンは印象的でそこら中にいるカップルも大体事後なんだろうなー

2人が夜の営みに関して考えが違った。

よく聞く話なので男女のあるあるなんだと思う。「好きだからする 」「好きだからしなくてもよくなった」

まだまだ子供のわたしには全然分かりませんが結婚をどちらかカップルが考えた時に起きる問題なんだろう。

終盤にも営んでいたけどお互いどういう気持ちなんだろう。それぞれの自分の気持ちの確かめ合いの様なものなんだろうか。深い。

 

 

パン屋 クーリンチェ

ゴールデンカムイ

 

引っ越してから近所を開拓するのっていいですよねー

焼きそばパンってチョイスがまたいいよねー

憧れです。

 

思い出のパン屋が閉店した時の2人の対応の違い。

思い出に浸る余裕がその時の麦になかったのだろう。このことには結構衝撃を受けました。

思い出結構大事にするタイプに麦がみえていたので

後に2人はパン屋の事をちゃんと思い出していたので思い出は大事にした方がいいと再確認。

別れたことがきっかけで大切なことを思い出せたのならきっといい別れなのだろう。

 

クーリンチェが終わることに対しても麦は気にかける余裕もなく、ゴールデンカムイも13巻まで出ているのに7巻(だったかな)までしか読めてない麦。

付き合った年の2015年に第1巻がスタートした2人が好きな作品

時間の経過と心境の変化を巻数で表現してるのまぁまぁパワーあって素直に震えました。

パズドラ」しか出来ないと口にする麦

パズドラ…何も考えずに出来ますもんね。

社会問題も孕んでほんといろんな意味が込められた映画だと

作品に対してだがこの「『パズドラ』しか出来ない」はパズドラを揶揄した表現でパズドラ側がこの発言を許可した懐深いなと。

パズドラの対極として描かれているのがゼルダ

 

 

環境の変化でやりたいこと。出来ることって間違いなく変わると思います。

実際私自身もこの映画を見ていることもブログを書いていることも、周りがブログを多く書来ているのに影響されたり職場が映画館になったりと影響されまくり。

 

この変化に食らいつくか、変化されないか。

大学生から社会人になるという人生の大きなターニングポイントを2人はダイレクトに受けたのだろう。

終盤の2人で映画を観るシーン

私からみれば全然面白そうに見えない映画

2人も面白くなかったと思う。

しかし麦は面白いか面白くないか以前に興味すらわかず「絹は面白いと感じのだろう」と想像し適当に面白かったねと一言。

 

ほんとに何度もこんなシーンを見た気がします。

 

小さな価値観の違いでは爆発しません。

大きく2人の気持ちがズレるきっかけとなったのが麦の先輩の死

 

大きく感情を動かすものさえなければ個人的には2人は悪い形ではあったかもしれませんが結婚していたのかなと思います。

ただ生きていれば感情を大きくマイナスな方向へ動かすものは現れるので結婚していても別れたと思います。張りつめるほどに距離が遠くなってしまう糸がぷちんと切れるようなものなのでしょう。

 

結婚式の場で友人に2人はそれぞれ「別れる」事を伝えます。

 

この辺りから私は涙に加えて鼻水までジュルジュル。全然止まりません。

涙って静かですけど鼻水ってすするとうるさいです。きっと映画館うるさくて迷惑だったと思います。冒頭のシーンから2人が別れることはわかっていることなのですが、今までのシーンから察するに別れを告げる場所は思い出のファミレスだろうと言うことが想像出来たためファミレスにむかった時は胸が張り裂けそうで死ぬかと思いました。

 

ファミレスにむかう前に観覧車にのります。

麦は初めての観覧車。それを知らなかった絹は

 

「4年一緒にいても知らないこともあるんだね」と

2人は一緒にいてそれぞれのことをわかっているつもりだったのかもしれませんが、実際問題2人がそれぞれどういう心境で日々を過ごしてきたか全然わかりあえていなかった。このときの絹は観覧車のことだけをいっているのでないような気がします。

 

その後出会った頃のようにカラオケを楽しみ、付き合った場所のファミレスへ

観覧車からファミレスまで笑顔の2人

別れる時くらい笑顔でありがとうを伝えたい2人。

ファミレスで「別れよう」とは一言も発さないのに別れムード。脚本と芝居の力恐るべし

付き合った時の席ではなく奥の席に座ることに。2人が前に進んだ証なのかな。

 

話していくうちに途中で想いが込み上げた麦は「別れたくない。。」

揺るがない絹。。

今日楽しかったからまた楽しく過ごせると麦は感じたが絹は同じことの繰り返しだと告げます。

 

別れ話をするふたりの前に現れたのは、あの席に座る、あの頃のふたりのように同じ靴を履き、この上なく楽しそうな会話をする若いカップル。涙します。

昔の2人のような理想のカップ

麦はかつて捨ててしまった理想の恋を。。

絹は今も求めている理想の恋を。。

 

 

 

 

私は麦の気持ちが痛いほどわかります。

ただ一緒にいたい、そう思ってきただけなのにどうしてここまですれ違ってきてしまったんだろう。それでも今日みたいに笑えるなら2人ならやっていけると信じているのでしょう

 

私の想像ですが絹のほうが望むなら麦と一緒に居たいのでしょう。でもそれがもう絹にはできなくてならせめて今までの思い出だけは大切に胸に刻みたいんだと思います。

 

2人は別れたあと3ヶ月ほど同じ家に住みます。

この3ヶ月ずっと2人は笑顔で過ごしていました。

 

タピオカを飲んだり浮気話をきいたり

まぁ楽しいのでしょう

 

別れたことが2人にとってきっと正しかったのでしょう

 

 

映画をみて感じたことが大きく2つ

 

 

好きなもの同士がなにか色々あって別れた方が良いというふうになる思考が私には微塵も理解できませんでした。どんな困難も2人で乗り越えてゆく。別れるんじゃなくてどう乗り越えてゆくのか考えるべきなのではないかと

別れるのが正しい判断なのだとしてもだったらそんな正しい判断なんてしたくないし考えたくもない。今が楽しくなくてもまたいつか2人で笑える時が来る。そう思います。

麦が終盤に気持ちが揺らいで「別れたくない」という気持ちに凄く胸を打たれました。

 

 

ただ絹をみていて私にも意図して別れたものが2つあったことを思い出しました。

 

1つ目が一緒に暮らしていたひとつ上の先輩

 

専門学校の先輩だったのですが、卒業後お金が私にはなくて住ませてもらうことに。

 

やりたかった仕事を先輩は朝早くから夜遅くまで毎日安月給ながらこなしていました。

毎日楽しくなさそうに。しんどそうに。

しんどいなら辞めればいいのに、、

心の中ではそう思っていました。

そんな先輩をみて私は時々ご飯を作っていました。作ってと言われたこともあったのですが全然食べてくれません。というよりも帰ってきません。いつ帰るかと聞いても「てっぺん(12時)は超える」の一言のみ

ついには専門学校に入ってまでやりたかった仕事の日数を減らし副業

 

とはいえ定期的に遊んだりゲームしたりしてました。それでも私には限界が来て家を飛び出しました。

この時の感情をよく覚えています。

きっかけこそ「先輩の行動」でしたが私が家を飛び出したのは「先輩にも私に対してなにか想うことはきっとあるのだろう」と思ったことをよく覚えています。

 

楽しく過ごす日々もあったけど、これの繰り返し。同性の先輩だったとはいえ人と一緒にいる事の難しさを学んだことを思い出しました。

 

離れたもの2つ目 

HERO

 

私は遊戯王の「HERO」というテーマをよく使ってました。趣味の話です。好きですが最近は使っていません。理由は環境的に勝てない対面が多いからです。

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と毎回言ってるもののじゃあ今までは勝てる環境だったのかと言われると怪しいもので。じゃあ何が変わったかというと私が「勝ちたい」という想いに応えてくれる方が周りに増えたということ。その中でHEROを使い続けることが「正しい」判断ではないということを知ってしまったこと。別にその思考になったことに対して後悔はない。前に進んでいるつもりです。

ただあの時HEROを使っていた私と同じ気持ちで遊戯王をしてくれていた人とは価値観がかなり気づけばズレてしまったのかなと思います。

私はいまの選択が正しいと思っています。だからその価値観を人に最近は押し付けているような気がします。鑑賞中絹と行動する麦に対して「ちがうだろ!おまえ!!ちがうだろ!お前が言わなきゃいけないことはそんな事じゃないだろ!!以前のあなたはそんな人じゃなかった!」と何度思ったことか。

 

確かに環境的に使えなくって辞めちゃったけど、コレクションとして思い出にしまってあるし、それにまた機会があれば使います。それは今までもそうしてきました。(リンク初期やアライブ規制+サンダーの登場の時等)

好きって気持ちは全然残っているんですけどね。。好き嫌いじゃやっていけないこともあるんだなと実感してます。

 

 

別にこの2つはカップルでもなんでもないしなんなら片っぽは人ですらないですが人間には「価値観が変わると物事に対して無理だって思う気持ち」と「望むなら続けたいけどそれが出来ないという頑なな気持ち」があるということ。

 

 

 

2つ目はよくいる男性の気持ちがハッキリのえがかれていたこと。

真実かはわかりませんがおそらく女性側の気持ちも正しく描かれていたのでしょう。

絹の感情を我々男性は重く気持ちとして受け止めた方がいいのではないでしょうか。

 性別が逆でもきっと同じだと思います。

映画館で働いている時この映画を鑑賞するカップルが非常に多くみかけます。別れる映画だけど大丈夫なのか?!と心配していましたがこの映画がきっかけで仲直りしたりそれぞれを気遣えるカップルが増えることでしょう。

 

 

アフターストーリー

 

ストリートビューに麦が映っていて興奮しているシーンが序盤にあります。輝く未来を思わせるシーンです。

別れたあと2人でよく行ったパン屋をストリートビューで辿ると再び奇跡を発見します。

発見した時に大学生の頃に発見した時のように晴れやかな青年のような顔をします。

 

そのまま大はしゃぎで絹に連絡して最終的には復縁してほしいなと

復縁することがいいことだとは言いませんがやっぱり「2人で」幸せになってほしいなと願う自分がいます。甘いしまだまだ全然若い考えだと実感していますが、2人が離れて幸せに笑っていることのほうが今の私はとても苦しいんですよね。

 

きっかけさえあればまた付き合ってもいいのではないかなと思います。

大学時代のストリートビューを無邪気に女性に話すシーンが存在しました。あの勢いと若さがまたあるのなら絹と話すきっかけになるのかなと。。願いつつ。。

 

 

最後に

 

外を2人でトイレットペーパーを抱えながらアサヒビールを飲んでみたいな

共感の声が多いのではないでしょうか

 

書いている今は失恋していないのに凄く胸がザワザワする日々です。失恋って振られたりする時に使いますけど、花束は文字通り恋を失った。それがまだ私には純粋に刺さって中々しんどいですね。

 

2人のように強くなって前に進みたいですね

それぞれがいい方向にきっと成長していて成長したことですれ違っていく

儚いものを見事に演出してましたね

 

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